【金龍山 浅草寺】教えてもらった回向法要に浅草観音様のもとへ(先祖供養 後編)

2018/11/01
ひとり若草の旅は、東京都台東区にある、浅草の浅草寺へ行ってきました。

20年以上もご無沙汰していたお墓参りをしていた10月、美幸ちゃんから「回向法要」を教えてもらいました。

浅草の観音様に、そんなご利益があるとは・・・!
驚きと共にお墓参りを終えた後、伺ってみることにしました。

 

金龍山 浅草寺

伝承によると創建は628年、東京で最古のお寺となっています。
漁師の網に偶然かかった観音像をお祀りしたのが、浅草寺の始まりとされています。

宗派は、聖観音宗です。
昭和24年まで天台宗でしたが、昭和25年より聖観音宗となり、その本山となっています。

絶対秘仏の御本尊様

御本尊は、聖観世音菩薩
645年に勝海上人が定めた秘仏の制が掟として守られてきました。

観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わりますが、以降一度も公開されていないため、実在しないのではないかとささやかれるほどです。

その御姿についての様々な逸話があり、その時代の権力者からの「ひとめ見よう」とする力にも屈することなく、御本尊様を守りぬいてきた浅草寺の歴史に貴さがあるように感じます。

朝の光が眩しい 浅草寺は仲見世から

 

朝9時に浅草へ、こんな時間に来たのは初めてです。

修学旅行らしき学生と、観光の外国人しか見当たらない雷門です。

スッキリと空いている仲見世通りを気持ち良く歩いていると、向こうから腕を組んで歩いてくるのは、なんと新郎新婦!

仲見世に “タキシードとウエディングドレス” という、ものすごいギャップ!

一瞬ドッキリか撮影なのかと思って、撮影のカメラを探してしまいました。
(いや、アタシを騙しても意味ないし)

すれ違う時に聞こえてきたのは、異国の言葉。

・・・にしても、朝イチからパンチが効いてるなぁ。

仲見世の参道を抜けて広がる青空

 

空いていたのは、仲見世だけだったようです。

この賑わい、これぞ浅草寺の景色です。

その清々しい空気に感じる観音様

ですが、この清々しさは素晴らしいです。

だからいつも思うのです。
絶対秘仏の観音様、本当は「いない」んじゃないかと言われるけれど、絶対おいでだと。

人の数も、人種も宗教もごった返すこの空間を、聖域として保たれているこのお力こそ、
観音様がおいでになる証拠だろうな、と。

 

手を清め、お線香を上げさせて頂いたら、御本殿へご挨拶に向かいます。

ご挨拶のお参りをさせて頂いたら、本堂内の「お札申込み」という窓口で「回向法要」の申込みを行います。

回向法要とは

回向とは「回り差し向ける」という意味で、僧侶や自分が修得した善根の功徳を、他に回し向けることを言います。

現在では、亡き人を偲び供養するのが回向です。
安らかな成仏を願って供養し、法要を行う事をいいます。

読経や、法要をおこなうこと(善行)が、亡くなった方への助けとなります。

浅草寺 ご回向札のお申し込み

浅草寺の法要は、朝6時、10時、午後2時の3回です。

申込書に記入をします。
霊名のところには、戒名や生前のお名前を記入することもできますし、
私のように御先祖様 “全体を” という場合は、「〇〇家先祖代々」という記入の仕方で大丈夫です。

※分からない場合は受付で質問すると教えてくださいます

そして、ご回向志納金は3千円(から)になります。

回向の申込みをした場合、御札の授与はありません。
回向札には故人のお名前や戒名が記され、回向法要後にお焚き上げされるからです。

その代わり、お線香かお砂糖の授与があります。

受付時に「どちらにしますか」と聞かれるので、私はお線香を頂いてきました。

浅草寺 回向法要


※画像は浅草寺HPより

御本堂に上がるのは、これが初めてになりますが別世界でした。

浅草寺の御本堂というと、たくさんの参拝者であふれ、投げ込まれるお賽銭に、あちこちからのフラッシュ、時折聞こえてくる柏手などなど・・・本当に騒がしいのですが。

あの金網が一枚隔ているだけなのに、穏やかな空気が流れていました。

須弥壇の正面には御焼香が焚かれていて、法要を前にご挨拶をします。
その後好きな場所に座り、開始されるのを待ちます。

畳へ直に座ることもできますし、須弥壇の正面壁には腰かけもあるので、ご年配の方々はみなさんそちらに座られていました。

そしてたくさんの僧侶が入ってこられると、静かに法要が始まっていきました。


※画像は浅草寺HPより

平日の法要なので、ここまで参拝者は多くありませんが、このような様子で法要がおこなわれます。

ふだん真言宗の御護摩祈祷を見ることが多くて、炎のない法要を見るのは新鮮でした。

多くの僧侶が一斉に上げてくださるお経と、観音様のご神徳で供養がされるのです。
届いた供養は、御先祖様の手助けになったと思います。

観光地としての浅草寺の姿しか知らず、浅草寺の観音様にこんな御利益があったなんて、教えてくれた美幸ちゃんに感謝しました。

すごいんだな~浅草寺って。

法要が終わると参拝者は出て行かれましたが、その後もしばらく本堂で過ごさせてもらいました。

癒しの感動も束の間・・・そのおみくじ

 

観音様の癒しに感動しつつ、おみくじを引きました。

出た!・・・そうだった、浅草寺といえば「凶」が出るんでした。

なんで忘れていたんだろう、私。(油断した~)
しかも、この身もフタもないような内容。

法要の癒しに、観音様に優しくして頂いたと思ったらコレだ。
夢心地も一気に覚めます。

いつも持ち帰るおみくじですが、今回はその場でおみくじに結び、引き取って頂くことにしました。

御朱印と頂いたお線香「観音香」

 
※回向で頂いたお線香も一緒に

そして、御朱印を頂きに影向堂へ。

御朱印を待っている間、虚空蔵菩薩様にお参りをさせて頂きました。
「ご無沙汰しております」

ここでは、各菩薩様の御真言が書かれているので、仏様の前で唱えて頂くことができます。

浅草寺と江戸歌舞伎

 

御本堂の裏側へ行くと、平成中村座の仮設劇場が設営されていました。

ちょうど初日だったようで、ひっきりなしにお花屋の車が何台も来ていました。

浅草寺に歌舞伎?と思って仮設劇場を眺めていましたが、答えはすぐ近くにありました。

 

浅草寺は「江戸歌舞伎ゆかりの地」と、浅草寺境内にある市川團十郎の銅像にありました。

この像の銘には書かれていませんが、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者 河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ)は、浅草寺にほど近い場所に住み、作品のほとんどをそこで書いたと言われています。

その生涯に書いた演目は300余にもなるそうで、浅草界隈が舞台として描かれている作品も多くあります。

そして銅像は、九代目市川團十郎。
十二代目市川團十郎が襲名したのを機に、大東亜戦争時に金属類回収で外された銅像を再現されたものです。

九代目は、歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の今日にまで伝わる多くの形を決定し、歌舞伎を町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めた歌舞伎役者です。

その数多い功績から「劇聖」と謳われたそうです。

ふとした景色から、浅草寺と歌舞伎の縁を知ることになりました。

知っているお寺にも新しい発見

あの提灯に浅草寺を知った気でいるつもりが、まだまだ知らないことだらけ。

知ることで、またその場所への気持ちと縁が深くなる気がする・・・、
そんなことを思うお参りとなりました。

帰り道の仲見世は、いつもの風景。
賑やかな人出となっておりました。



大袈裟にもならず、
少ない金額でも、
法要ができることを知りました

こうして御先祖様に
癒しを届けることができたのも、
若草のおかげだな~と思うのです



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